彼はまだ生きている。
彼はまだ生きている。
僕は涙をこらえながらそう思った。
彼は呼吸をしていた。
それは浅く、時折止まってしまったのかと心配になるくらいの間隔が空きながら、それでも続いていた。
あばら骨の形も、頭蓋骨の形もわかるくらい、彼は痩せこけていた。
彼は煮魚のような目をしていた。
目尻には粘度を持った何かがたまっていて、それが黒い涙のように見えた。
彼は自分の死期が近いことを悟っているのかどうか、僕にはわからなかった。
涙を流すのはまだ早かった。
死んでしまったならいざ知らず、周りの人間が勝手に彼の死期が近いことを悟って涙を流すことなど言語道断だった。
彼はまだ生きている。
彼のために何かをしたわけではない僕が、彼を看取る気のない僕が、涙を流すことなど許されなかった。
別に彼との間に特別な思い出があったわけではなかった。
ただ好きだった。
今週のお題「最近壊した・壊れたもの」
【エッセイ】掛け算が苦手
私は小学二年生のころ、算数につまづいた。
掛け算ができなかったからだ。
最近その理由に気が付いたので、ここにメモしておこうと思う。
掛け算ができなかった理由は、数字を「ものを数えるための文字」として認識していたためだ。
具体的には、「りんごが2個あります。」は理解ができたが、「りんごが2個あります。2倍になると何個ですか。」のときに「2倍」にかかっている「2」が何を数えているかわからなかったのだ。
接頭語のつかない「倍」は、その直前に話していたものが2つあることを意味していると理解していた。
というかそもそも、「10個」の何かにたいして、おなじものが10個加わった時、20個になる時点で倍という概念を説明しておくべきだと思う。
そういった認識も相まって、掛け算が難しかったのだろう。
小学一年生のときに「n個」として扱う目に見える数と小学二年生の時に「n倍」として扱う目に見えない数とでは理解のむずかしさに大きな違いがあると思ったのだった。
【エッセイ】燃えパン
朝ごはんが燃えた。
私は普段、朝食にパンとコーヒーを摂る。
最近引っ越しをした部屋には、魚焼きグリルを備えたガスコンロがついていて、よくそれでパンを温めて食べるのだが、今日は少し目を離した隙にクロワッサンに引火して、素敵な焦げ目がついていた。
ほんのりお祭りの時のようなにおいがして、夏を感じる。
R.I.P my croissant.
今週のお題「朝ごはん」
【エッセイ】ゴキブリを食べた。
悪食の友人に誘われて、サツマゴキブリを食べた。
彼はゴキブリが嫌いだと言っていた。生理的に嫌悪感を感じるらしい。その理不尽な嫌悪感を拭うためにゴキブリを食べたいのだとのことだった。
彼らは、公園の自動販売機近くに設置してあるごみ箱の下に密集していた。
彼らの生息地を推定する参考として、静岡県立池新田高等学校 自然科学部 の論文を参考にした。普段論文を目にする機会は少なくないが、彼らの論文はかなり素晴らしいと思う。テーマの新規性はもちろんのこと、我々の生活に近いところから、生態系の変化という大きな枠組みまでをわかりやすく整理してある。
私たちの悪食のせいで、彼らの調査に多少影響を与えてしまうことを心から申し訳なく思う。
捕まえた個体は、幼体を含めて36匹、個体数保護のために捕獲しなかった生体も含めるともう少し多かったが、いずれもサツマゴキブリで、ほかの種類は見受けられなかった。
食するのにあたって雌雄は関係ないので、雌雄の判別は行っていない。
調理方法は塩ゆで、素揚げ、唐揚げ、アメリカンドッグ風の4種類としたが、素揚げが一番おいしかった。塩ゆでは食べられたものではなく、噛んだ瞬間に猫のおしっこのようなにおいが鼻孔に広がり、苦味が舌を這うありさまだった。まったくおいしくない。
唐揚げ、アメリカンドッグ風はいずれも衣の影響が大きく、おいしいはおいしかったが、ゴキブリを食べている感は薄く、スナック菓子のようだった。
素揚げは比較的味の特徴をとらえやすかった。噛むとナッツの香りがしたほか、ほんのりと苦味を感じた。
食感も風味も焼き海苔やエビといった海産物を感じられ、前述のアンモニアっぽいにおいがが変質したような印象を受けた。
飲み込んでもしばらく食道に外骨格が張り付いている感じがしたので、頭付近の一番大きな殻は食べるときにはがしてもよいと思う。
幼体や小さめの個体は臭みが強い傾向があり、揚げてもほんのり塩ゆでと同じ香りがした。これらの個体はいずれも噛んだ瞬間口の奥で瞬間的に辛味を感じたのち、独特の臭みが口の中に広がり、後味はタイヤやラフロイグのようなゴム臭が残った。
小さな個体は捕食されるのを防ぐために、毒のようなものを体内に持っているのかもしれない。
彼らの食生活が気になる結果となった。
ちなみに友人は、ゴキブリを探すうちに嫌悪感を克服したらしい。
正直蝉のほうがおいしかったが、良い経験はできたと思うので、悪食の友人に心から感謝をこめて、この記事を締めたいと思う。
また何かおもろいもん捕まえて食べましょう。
【習作】ステラピース
ブロック敷の遊歩道を、早瀬は歩いていた。
昨晩降った雨の名残で路面は濡れていたが、あてどなく歩くスニーカーはそんなことを気にする様子もない。
地面から上がってくる水蒸気が土と草の匂いをはらんでいて、少し息苦しさを感じた。
日課というほどでもなかったが、早瀬は時折こうして歩くことがあった。
追い詰められているときもあったし、いたたまれないときもあったが、その日は何となく気が向いたのだった。
長く伸ばした前髪の奥で、彼の瞳は朝露とは違う光を見つけた。
拾い上げる。
それは金属でできたパズルのピースみたいなものだった。削りだした炭素鋼のように、心地よい重量感と冷たさが手に伝わる。
薄曇りの空にかざすと、よく手入れされた錠前が開くときのような音がして、ピースは空に溶けていった。
早瀬は不思議と、満ち足りた気分になった。
今までだって、足りなかったわけではない。
欠けているものを見つけるためには、まず周りから満たしていく必要があった。
今週のお題「変わった」
水面アプリ「wasser_5(ver1.5)」
Unity の練習もかねて、水面をひたすら描画するアプリケーションを作成した。
とはいえ、フリーのアセットを組み合わせただけだけれど。
手元にプロジェクタが届いたら、スクリーンセーバのように常時表示させとこうと思う。
ちなみに使用したアセットは以下の通り。
どうやらTrrain の設定次第で波打ち際とかも再現できるみたい。
個人的に気に入っているところは、Directional light の色合いのおかげで夕暮れの水面っぽい落ち着いた色合いが再現できたところ(部屋の調度とも色合いがマッチしている)。
水面の揺らぎに関してはアセットの効果がかなり素晴らしいと思う。
今一つだと感じているところは、水面を構成するテクスチャにつなぎ目が存在すること。いたし方ないが、やはり大きい画面で見ると目立つので、ここはもう少し工夫が必要な部分だと思う。
Main cameraのFOVをもう少し狭めて、遠くから撮影するのもありだと思われる。
【エッセイ】鬼の枷
今年度を振り返ってみて、仕事に打ち込むことが難しい一年だったなと思う。
杞憂に終わったが、転職をせざるを得ない懸念があったし、自主研究の勉強もあって、仕事とプライベートの境界が曖昧で、たまらなく疲弊していた。
いつか辞めると思いながら仕事を続けても、打ち込めるわけがなかった。
私が損切りをミスしたせいでずっとジリ貧で、首が回らない状況に陥っていたのだ。
それまで沢山の、本当に沢山のものを犠牲にしてきた。
昨年の冬にやっとこさ枷が外れてからというもの、それまでうまくいっていなかったことがすべて順調に回りだした。
思いもしないような好機に恵まれて、大学院にも行けるようになった。
やはり停滞や滞留は性に合わないのだ。
タイトルの「鬼の枷」は、私の好きな「夜桜四重奏」という漫画に由来する。
春が来ると読みたくなる漫画の代名詞だ。
見た目は普通の人なのだが、鬼の血をひくために怪力で、普段はあまりある力を抑えるために枷を付けているキャラクターが出てくる。
私にとっての枷はもう壊れてしまったので、後はありのままいるだけだ。
今年度は、仕事でもプライベートでも、私が私らしくいることに全力投球したい。
誰かのために自分を投げ出したところで、自分が損をするだけなのだ。
誰かを幸せにするために、まず自分が幸せでいたいと思う。
今週のお題「投げたいもの・打ちたいもの」
【習作】春風に乗って。
まだ先に進む勇気が出なくて
「この関係に名前を付けなくていいですか。」
そうお願いしたのは僕なのに。
一人の夜に声が聴きたくなる。
そんな風に思ってしまうのが嫌だった。
そんな風に思ってしまうのが怖かった。
だから名前を付けなかった。
あなたの気持ちは胸やけするほど甘くて、胸が銃弾を受けた肉みたいに赤黒くただれてしまう。
そんな自分の醜さがいたたまれない。
気持ちにこたえられるように、気高く強くありたい。
そんな気持ちも多分、見透かされてしまっているんだろうな。
でもたぶん、求められているのは今まで通り。
抱えた気持ちはないことにはならないけど、春風に乗って会いに行くよ。
かわりゆく
昨年の12月に恋人だった人とお別れした。
私はその人のことが好きだった。
私は今まで、来るもの拒まずな恋愛をしてきた。
向けられた好意には、好意をもって返さなくてはいけないと思っていたから。
最初は別に好きじゃなくても、小さな好きをたくさん見つけることができれば、そのうち本当に好きになれることを知っていたから。
私の好きは、認識を曲げて、自分を変えて、犠牲をどのくらい払うことができるかによって決まっていた。
そのうち疲れて、自分のありかたがわからなくなって、しんどくなって別れるのがいつものパターンだった。
今回もそう。
私の恋はきっと、中学生の時から変わっていないのだと思う。
みんなそうだった。
最後の最後に、「ありのままでいいよ」って言ってくれた。
あなたのことがずっとわからなかったといわれたことも、詐欺師と呼ばれたこともあった。
それだって本当の自分だったのに。
周りの人に気を遣って生きてきた自分にとって、普通の人が言うありのままはなかった。
いままでの生き方を否定された気がして、たまらなく嫌だったんだ。
みんな優しい顔をして、無責任な言葉を使う。
人は他人に対してあまりにも無責任だけれど、人格はそんな選びようのない環境によって後天的に形成される。
でもね、もうそんな人たちに振り回されるのはやめようと思うんだ。
誰かに大切にしてもらうことを望むより、自分で自分を大切にしなきゃ。
【エッセイ】二流
師匠曰く。
何かを批判しているうちは二流らしい。
批判している余裕があったら、作品を作れとのこと。
伝えたいことがあって、どうしてもこっちを向いてほしいとき、はじめて作品に迫力が乗る。
特に僕の場合、文章を作品にしたいので、批判が直接的に批判になってしまうところに気を付けなくてはいけないなと思った。
言葉には、事象の減衰を最小限に抑えて伝達する働きがある。
素直な言葉は何よりも強い力がある。
伝えたい言葉は飾らずに記す。
伝えたくない気持ちはなるべく美しく再構成する。
思っていても、出力しなければ周りには伝わらない。
伝えることができなければ、周りから見たそれは思っていない、あるいは考えていないに等しいと思う。
自分の気持ちを理解することができる人がいつもそばにいてくれるとは限らない。
だから僕はキーボードを叩く。
これを読んでいるあなたに伝わるように。
明日読む僕に伝わるように。