平凡で平凡で平凡な
私よりも大変な人は沢山いる。
医療従事者や、コロナで職や家族を失った人。アルバイトができなくなった学生さんや、観光・飲食業の皆さん。代行屋さんも大変だと思う。
本当はCOVIDー19に言及することなんて、あまりにも平凡すぎてゾッとするけれど、この言葉がタバコの煙のように微かにネットの海を漂ってくれているだけで救われる気がする。
どこもそうかもしれないけれど、私が暮らしている街では、37歳以下の市民にはワクチンの接種券(権と言ってもいいと思う)が配布されていない。
自衛の手段は
手指を消毒すること。
不織布のマスクをすること。
他人との接触をなるべく避けること。
県外への移動を控えること。
外食を控えること。
ワクチンを接種すること。
手指の消毒やマスクの着用は個人で取り組んでいく必要がある。
だけど、他人との接触を避けて、県外への移動や外食を控える事は、働いていると会社や社会の協力無くして実現が難しい。
今日も上司に在宅勤務の打診をした。答えはもちろんノー。理由は作業のデータが紙でしか残っていないし、スキャナを使うのが面倒だから。あるいは、web会議が自力でできないから。
そんな上司は、若者が出歩くことによる感染の増加について、私のデスクで20分ほど話をして帰っていった。
今日も21時を過ぎるまで働いている。今から調理を始めても、食事にありつけるのは22時をまわるだろう。明日も8:30には出社だ。
先週も再来週も、県外への出張がある。もちろん、不要不急だから。
こちらがなるべく接触を避けようとしていることを意に介せず、近くで長話をするお客さんがいる。しかし、感染対策は厳にせよとしつこく言い含められる。
職場の別の部署の上長がCOVID−19に感染した可能性があるから、遠くに暮らしている恋人には会いに行けない。自分が陽性でなくても、運んでしまう可能性があるらしい。
気にする人には認識が甘いと言われて、気にしない人には気にしすぎだといわれる。
持っている武器は、アルコールとマスクだけ。ウィルスのスペシャリストでもないから、誰にも何も根拠のある説明ができない。
自衛の機会を与えられずに、沢山の人の「仕方がない」に小さく小さく殺されて、この先何が残るのだろう。
そもそも、自衛の機会が与えられるものだと考えている時点で、あるいは職と住処を手放す覚悟がない時点で、自衛を考えることなど甘いのだろうか。
世界を変える力がなくては、声を上げることすら許されないのだろうか。
私よりも大変な人はたくさんいる。
COVID−19の影響はほとんど受けていないと言っても過言ではない。ただ、平凡で平凡で平凡な故に、こんな愚痴をこぼす事すらもおこがましいと思えてしまう。
自分ですら自分の味方になれないことを哀しく思う。