一人暮らしのはじまり、書痴のおわり
私はかつて書痴でした。
父親も母親も読書家で、壁面本棚があるような家に暮らしていました。
小学一年生の頃に図書室で「ハリー・ポッターと賢者の石」に出会ったことをきっかけに、書痴への道を歩み始めたのでした。
それまでは読書の時間が退屈で仕方がなかったので、小学校低学年には手の届かない場所にあった重そうな本を先生にせがんで困らせてやろうと思っていました。
結果はあえなく失敗。
先生は片手でひょいと本をとると、私に渡してくれました。
本を軽々ととってしまわれたこともさることながら、「お前にはまだ早い」と言われることもなかったので、どこか肩透かしを食らったような気持ちになりました。
静山社のロゴと、紺色のカバーにクリーム色の紙、目が覚めるようなかぼちゃ色のしおりと、それに合わせたようなオレンジ色の見返しを今でもよく覚えています。
初めて読む小説は字が多いし、難しい漢字はたくさんあったけれど、同級生の誰もがアクセスできない情報にアクセスできている優越感や、先生が認めてくれたという充実感が、私を読書へと駆り立てました。
後々、家がそこまで裕福ではなかったことを知ったけれど、両親はそんな中でもやりくりをして、月2冊までは好きな本を買ってくれました。何よりもそれだけの投資(当時は投資なんて言葉は知りませんでしたが、両親がお金をかけてくれていることはわかっていました)をしてくれることがうれしくてたまりませんでした。
知識量と語彙に反比例するように、みるみる視力が落ちましたが、それでもよかった。
むしろ視力と引き換えに知識が手に入ることが誇らしくさえありました。
さて、本棚の話でしたっけ?
もちろん、一人暮らしを始めた今でも本棚に囲まれた生活を送ってはいます。
ワンルームを広く見せたいので、腰よりも高い家具はありませんが、漫画に参考書、画集まで幅広くそろえています。
実家にいた時と変わったところは、小説の割合がかなり小さくなったところでしょうか。
置き場所がないので、シリーズになりがちな小説は電子書籍で購入することにしています。
画集や写真集は意外と電子書籍になっていないことが多いこと、子供が見ても面白いことなどを理由に、紙媒体でそろえることにしています。
自分が賢い人間だとは思いませんが、私の周りの大人たちがそうであったように、子供の学習を妨げない大人でいられることを願っていますし、子供たちは僕らよりずっと多くの情報を1ページから感じ取ってくれると思います。
今週のお題「本棚の中身」