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割りを食む。

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楽天主義の幕あけ

ヒスイカズラ

ヒスイカズラ@とちぎ花センター

 私の人生を変えた出来事は、高校2年生の頃に車に轢かれたことだ。

 2014年10月16日、その日は一足早く冬が訪れたかのように、空気がピンと張り詰めていて、遠くの磐梯山がとても鮮明に見えたことを覚えている。

 事故自体は単純で、自転車で信号のない交差点を渡っていたところを、一次停止していた車を避けた後続車に横からはねられた出会い頭の事故だった。

 相手の乗用車はかなり低速で交差点に侵入してきていたので、眉上と瞼を数針と、左手首の骨端にひびが入ったほか、全身うちみに見舞われた程度で済んだ。

 水平距離で5メートルほど吹っ飛んだようだった。

 地面に叩きつけられながら、「あぁ、人間って意外とすぐ壊れるのだな」と思った記憶がある。

 小学一年生の頃から空手を始めて、小学4年生で剣道に転向したこともあり、身の回りには頑丈な人が多かったので、とても新鮮に感じた。

 腕のひびにしたって、「痛い」というよりは「不思議と動かしたい気持ちにならない」という気分が正しかった。

 その日はたまたまレポートの提出日だったので、額から流血しながら自転車を押して学校に向かおうとしたが、私をひいた人に引き止められて、救急車に乗せられた。

 救急車に乗せられてからの記憶は残っていない。

 

 生死の境を彷徨うほどの大事故ではなかったし、幸い後遺症も残らなかったが、それ以来「何かをはじめようとする」ハードルは一気に下がった気がする。

 機会損失とは、今後得ることのできるはずの利益が、ある障害により失われる可能性を表現する言葉だ。

 私の少ない語彙に機会損失の対義語となる言葉は収録されていないが、単位時間あたりに危険な事象が発生すると仮定した場合、長生きをするということは、それだけ危険に晒される回数が高くなるということでもある。

 未来を予知できない以上、現在手元にある「機会」や「やりたいこと」、「伝えたいこと」は最大限形にしておかなくては勿体無いと思う。

 人間は意外と簡単に壊れてしまうので、明日それをやれるかどうかは、明日になってみないとわからないし、思っているだけでは伝わらないことも沢山ある。

 仏陀の言葉を借りるなら「思い悩むな、今を切に生きよ」といったところだろうか。

 良い「今」の積み重ねは、きっと良い「未来」を作り出すのだろうと信じている。

今週のお題「人生最大のピンチ」