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割りを食む。

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「在宅勤務」と「すべてがFになる」

西田幾多郎記念館

 濃厚接触者になったため、在宅勤務をすることになった。

 状況的には濃厚接触者だったが、無症状なうえ陰性で、自宅待機の間も元気に勤務していたので、余計な事を考える時間がたくさんあった(弊社では在宅勤務中定時退社扱いになるので、いつにもまして自由な時間が長かった)。

 初めて森博嗣*1先生の作品に触れたのは、中学生のころだっただろうか。

 「スカイ・クロラ」が押井守監督により映画化されたとき、文庫版の表紙がアニメ版になり、平積みされていたのに手を伸ばしたことがきっかけで、熱心なファンになったのだと記憶している。今も理系の道を歩んでいるのは、この出会いがきっかけだといえると思う。

 中学生の頃には「スカイ・クロラ」を見に行くほどハイソな趣味を持った友達はいなかったし、何より田舎に暮らしていたので、とても見ることはできなかった。

 森博嗣作品のファンならば誰もが通る道であろう、S&Mシリーズに手を出したのは必然といえると思う。

 私が持っていたのは新装版の方だった(白いレゴブロックでFが形作られた表紙である)。

 さて、本筋に戻ろう。

 なぜ、「在宅勤務」と「すべてがFになる」との間に関連性を見出したのか。それは、物語内のある人物のセリフが鮮明に印象に残っていることに起因する。

 「建築も都市も単なるプログラムにすぎません。集団の意思と情報の道筋だけが都市の概念ですし、すなわちネットワークそのものの概念に近づくことになります。」

 「(前略)人と人が触れ合うような機会は、贅沢品です。エネルギィ的な問題から、そうならざるをえない。(中略)地球環境を守りたいなら、人は移動するべきではありません。私のように部屋に閉じこもるべきですね(後略)。」

 もうすでに、仮想空間には社会が構築されていて、社会に属するために物理的な接触は必要なくなってきている。

 当時もちろんこのような状況が作り出されることは予想だにできなかったとは思うが、ここ数年で仮想空間上の社会の存在は無視できないものになり、加速度的に彼の描いた世界に近づいている。

 奥付を見るに、1998年12月15日に初版が出版されたとのこと。

 その先見性に鳥肌が立った。

 私はきっと、直接彼の講義を受けることはかなわないだろう。しかし今よりももっと彼の思考をたどりたいと思った。

 また森博嗣作品を読もう。

 

*1:以下冗長さを回避するため、敬称を省略しますが、心の底から尊敬している旨をここに示します