katabamido

割りを食む。

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【習作】苔むす貴女

森のなかで。

 鼻をくすぐる匂いで目が覚める。

 顔をしかめるほどの臭気ではない。

 小学校のバケツにかけてある雑巾のような、金魚の水槽のような、湿度をはらんだ生臭い匂いがする。

 周りの地面はぬかるんでいて、周辺には腐ってしまった木々が折り重なるようにして倒れている。

 もともと軟弱な土地だったのだろう、どの木も細く、どこか不健康な印象を受けた。

 少し肌寒い。

 森というよりは湿地のようだ。

 目が覚めたのだから倒れていたのだろうが、上体を起こした記憶はなかった。

 着ている服も、汚れたり濡れたりしている様子はない。 

 ただそこにいる。

 その時点で、夢を見ていることに気が付いた。

 会社の同僚の声が聞こえる。

 「あなたには、哭き女と契約していただきます。」

 その声には、少しだけ哀れみが込められているような気がした。

 すぐに 姑獲鳥 うぶめ が思い浮かんだが、どこか釈然としない気持ちで頷く。

 すぐ近くにアイアンメイデンのような3体の石像があることに気が付いた。

 苔むした石像の高さは2mほどで、円を描くように向かいあっている。

 どうやらそこが臭気の元らしかった。

 僕はいつの間にか立ち上がって、彼女達の顔を見上げていた。

 工業製品にしては無駄な装飾が付いているし、美術品にしてはあまりにも不格好なそれは、皆一様に伏し目がちで、表情からは何も読み取れない。

 僕と契約することを嫌がっているのか、怖がっているのか。

 そう考えながら、ふと面白くなった。

 僕は今、彼女達にも感情がある前提で表情を読み取ろうとしている。

 喜怒哀楽でいうなら「哀」に支配されている彼女達は「嫌悪感」や「恐怖」を感じるのだろうか。 

 それ以外の感情がないというのは、いったいどのような気分なのだろう。

 数秒の思索と観察を経て、ふと気が付く。

 どうやらここにあるのは彼女達の器だけらしい。

 妖怪や怪物、妖精の類は実体を持つが、幽霊や精霊といったものたちは実体を持たないため、依り代が必要になる。

 哭き女はどちらかというと後者のようだった。

 とすると、僕が彼女達に提供できるものは自分の肉体ということになるが、実体を持つ人間など生きている人間の数ほどいる。

 こちらとしても、この契約に魅力を感じないし、あちらも歓迎しているわけではなさそうだ。

 自分の姿をさらさない相手ならなおのこと警戒してしまう。

 「お見合い」をもしやることがあれば、こういう気分になるのかもしれない。

 とまれ、囚人である僕には彼らに意見する権利などなかったし、受け入れなければ夢の中に閉じ込められて出られなくなることは目に見えている。

 どのくらい良い関係性になるかは皆目見当がつかなかったが、プライベートな付き合いというわけでもないので、契約を受け入れることにした。

 可もなく不可もなくというのが一番やりやすい。

 そう思ったところで、また同僚の声が頭に響く。

 「契約の申請が受理されました。決裁が下りるまでしばらくお待ちください。」

 会社の決定事項に従っただけなので、決裁もへったくれもない出来レースである。

 僕はそんなことよりも、哭き女が契約を受理したことに少しだけ驚いた。

 少なくとも彼女達にとってはメリットがある契約だったようだ。

 どこかほっとしている自分に驚きながら目を覚ますと、6:30のアラームが鳴った。