katabamido

割りを食む。

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【習作】祈りの在り方

 「俺には、祈る神などいない。」

 彼はつぶやくように言った。

 昼休みの工事現場から吹く風は乾いていてほこりっぽかった。

 単管にもたれるようにして話を聞いていた私の怪訝な顔に気が付いたのだろう。彼は続ける。

 「俺が信じるのは家族と自分自身。あとは自分がやってきたことと、これからやっていくことだけだ。」

 擦り切れたツナギ越しに単管に触れているところが少しだけ冷たくなって、午前の仕事を終えた体には心地よい。

 ぼちぼち買い替えどきだな。

 そんな風に思いながら、私は彼の発言の意図をくみ取りかねていた。

 何か決意をしたのか。

 何かを後悔しているのか。

 足がかりを見つけようと彼のほうへ目をやるが、視線はぶつからなかった。

 仕方なく思料を続ける。

 共感してほしいのだろうか。

 「意図を汲み取りかねているのですが、それは共感を求めているのですか?」

 尋ねてみる。

 「いや別に」

 彼は右手を開いて振るような仕草をしながら続けた。

 「単純にそういう習慣が無いなと思っただけだよ」

 ふっと寂しそうに笑う。

 彼の娘は、このあたりでは名の知れた学校に行ったのだったか。

 もしかしたら説教でもされたのかもしれない。

 私は祈りを、神にも儀式にもよらないものだと思っている。

 どのような形であれ、自らの歩んできた道と行く末を見つめる習慣のことを祈りと呼ぶのだろう。

 手紙を書くことも、家族に食事を作ることも。

 家族のより良い明日を思いながら働く彼もまた、祈る人なのだと思う。

 午後の予鈴が鳴った。

 

 

 

【習作】苔むす貴女

森のなかで。

 鼻をくすぐる匂いで目が覚める。

 顔をしかめるほどの臭気ではない。

 小学校のバケツにかけてある雑巾のような、金魚の水槽のような、湿度をはらんだ生臭い匂いがする。

 周りの地面はぬかるんでいて、周辺には腐ってしまった木々が折り重なるようにして倒れている。

 もともと軟弱な土地だったのだろう、どの木も細く、どこか不健康な印象を受けた。

 少し肌寒い。

 森というよりは湿地のようだ。

 目が覚めたのだから倒れていたのだろうが、上体を起こした記憶はなかった。

 着ている服も、汚れたり濡れたりしている様子はない。 

 ただそこにいる。

 その時点で、夢を見ていることに気が付いた。

 会社の同僚の声が聞こえる。

 「あなたには、哭き女と契約していただきます。」

 その声には、少しだけ哀れみが込められているような気がした。

 すぐに 姑獲鳥 うぶめ が思い浮かんだが、どこか釈然としない気持ちで頷く。

 すぐ近くにアイアンメイデンのような3体の石像があることに気が付いた。

 苔むした石像の高さは2mほどで、円を描くように向かいあっている。

 どうやらそこが臭気の元らしかった。

 僕はいつの間にか立ち上がって、彼女達の顔を見上げていた。

 工業製品にしては無駄な装飾が付いているし、美術品にしてはあまりにも不格好なそれは、皆一様に伏し目がちで、表情からは何も読み取れない。

 僕と契約することを嫌がっているのか、怖がっているのか。

 そう考えながら、ふと面白くなった。

 僕は今、彼女達にも感情がある前提で表情を読み取ろうとしている。

 喜怒哀楽でいうなら「哀」に支配されている彼女達は「嫌悪感」や「恐怖」を感じるのだろうか。 

 それ以外の感情がないというのは、いったいどのような気分なのだろう。

 数秒の思索と観察を経て、ふと気が付く。

 どうやらここにあるのは彼女達の器だけらしい。

 妖怪や怪物、妖精の類は実体を持つが、幽霊や精霊といったものたちは実体を持たないため、依り代が必要になる。

 哭き女はどちらかというと後者のようだった。

 とすると、僕が彼女達に提供できるものは自分の肉体ということになるが、実体を持つ人間など生きている人間の数ほどいる。

 こちらとしても、この契約に魅力を感じないし、あちらも歓迎しているわけではなさそうだ。

 自分の姿をさらさない相手ならなおのこと警戒してしまう。

 「お見合い」をもしやることがあれば、こういう気分になるのかもしれない。

 とまれ、囚人である僕には彼らに意見する権利などなかったし、受け入れなければ夢の中に閉じ込められて出られなくなることは目に見えている。

 どのくらい良い関係性になるかは皆目見当がつかなかったが、プライベートな付き合いというわけでもないので、契約を受け入れることにした。

 可もなく不可もなくというのが一番やりやすい。

 そう思ったところで、また同僚の声が頭に響く。

 「契約の申請が受理されました。決裁が下りるまでしばらくお待ちください。」

 会社の決定事項に従っただけなので、決裁もへったくれもない出来レースである。

 僕はそんなことよりも、哭き女が契約を受理したことに少しだけ驚いた。

 少なくとも彼女達にとってはメリットがある契約だったようだ。

 どこかほっとしている自分に驚きながら目を覚ますと、6:30のアラームが鳴った。

【習作】夏の夜、一人。

 自分を夜に溶かすようにして歩く。

 夜の街を歩くのが好きだ。

 メインストリートの居酒屋からは良く通る男性の声が聞こえて、水路からは濡れたアスファルトのような香りがする。

 歩く。

 歩く。

 50Hzに照らされて、黒の511がコマ送りのように見える。

 「実は輪郭線は存在しない。」

 中学校の美術の先生が言っていた言葉を思いだす。

 私たちが輪郭として認識しているのは地続きになった「それ」と「それ以外」の境界のことで、実際に線があるわけではないらしい。

 点描の授業の時に言われたのだったか。

 細胞や原子のように、自分を構成する小さな粒が空気と溶け合う。

 自分がいないかのような、「もの」ではなく「こと」になってしまったかのような感覚。

 気温と体温が平衡していて、たばこの煙が大気に溶けていくような「拡散」に近い。

 進むたび、水蒸気をはらんだ空気が僕の後ろで渦を巻いて、空気と触れた部分が少しずつ削れていく気がする。

 削れて拡散していった私には何が残るのだろうか。

【エッセイ】もういい、休め。

 十年来の友人達と久しぶりに電話をした。

 一人は寮の同室で一年間をともに過ごし、もう一人は二つ隣の部屋に暮らしていた。  

 学校を卒業してからもことあるごとに連絡を取りあってはつるんでいるので、話す内容もたかが知れているが、くだらない話は楽しい。

 プライベートでいろいろあった後だったので、ネガティブな話が多かった。

 状況を改善するためのアプローチを考えなくてはいけない。

 そんな私の台詞を聞いて、友人が言った。

 

 「もういい、休め。」

 

 私たちは人を励ますときや応援するとき、つい「頑張れ」と言ってしまう。

 仕事でも、出来たら出来ただけより良い成果が求められる。

 言う側も言われる側も「頑張れ」という言葉の裏に「状況は改善できる」や「もっとやれる」という気持ちが多少なりとも込められていることを知っている。

 「休め」を励ましの言葉として選ぶことはほとんどない。

 だけど私は、彼らの言葉に強く励まされた。

 少なくともここには、私が「頑張れ」なくても許してくれる人がいると思えるだけで、前進するために十分な力が得られることを知った。

【エッセイ】おみくじ「第三三番 小吉」

 湘南も寒くなってきたので、ダウンジャケットを出した。

 外気温は3度。もうぼちぼち年の瀬である。

 ふと内ポケットを探ると、今年の1月1日に富士宮浅間大社で引いた御神籤が入っていた。

 小さくたたまれたそれをぱらりとめくる。

 「春くれば ふりつむ雪も とけぬべし しばし時まて 山のうぐいす」

 思えば今年はいろいろな人に「まぁ待て」といわれる年だった。

 状況を冷静に眺める人ほどそう言ってくれていた気がする。

 「物ごとをひかえめにし心正しく身をまもってあまり進んでしないほうがよい わるい人にさまたげられて思わぬあやまちをすることあり交際その他きをつけよ」

 一年前からすっかり見通されていたのだな。

 もう少し周りを見ることができていれば、もっと思いやりをもって接することができていたら。

 「たられば」で埋め尽くされてしまうくらい、反吐が出るほどガキだった。

 大切なものを失ったけど、気が付いたこともたくさんあった。

 とても大きなものを得ることができた一年だったと思う。

 ありがとう。来年はきっと春が来る。

 そう願いながら、僕はまた御神籤を引くのだろう。 今週のお題ビフォーアフター

【習作】真白の雪原

 

 白く突き刺す風が頬を穿つ。

 遠くに見える星は、目の奥に響くような光を発していて、鼻の奥がつんとする。

 限りなく黒に近い濃紺の空に、灰色の稜線が横たわっている。

 まるで、星と僕を隔てるかのように。

 朝焼けはまだ遠い。

 真白の雪原を歩く。

 前へ、前へ。

 鏡を介さなくては自分の姿を見ることのできない僕たちに見えるのは、これから向かう先と、自分の足跡だけ。

 うちつける風が冷たく凍えてしまいそうでも、足を止めたら死んでしまうから。

 真白の雪原を歩く。

 歩いてきた足跡が細く、消えかかっていても。

 どこから来たのかは忘れずにいられるから。

 たとえ星がずっと遠く、その道程が険しくても

 真白の雪原は、誰も到達できなかったところにいることを教えてくれる。

 確たるものが何もないなら、もっと遠く、遠くへ。

 そしていつしか、あなたの足跡は誰かの道標になる。

くだん(富山市新富町)

 たまたま富山市で仕事があったので、15年来の友人に声をかけた。

 風の便りで富山にいることは知っていたが、プライベートで富山を訪れるときはたいてい恋人を連れているのでなかなか声がかけられずにいた。

 彼女が集合場所に指定した店が、新富町にある「くだん」だった。googlemap を頼りにホテルから歩いて狭い路地に入ったときはかなり驚いたし、なんなら一度店の前を通り過ぎた。

 暖色の照明に照らされた小さな看板が見えた時はかなり安心した。

 ひらがなの「こぎれい」という言葉が良く似合うような店だった。

 

 お互い違う高校に通ってはいたが、高校の経営母体は一緒だったこと、高校を卒業してすぐに社会人になったことなど、共通の話題が尽きなかった。

 彼女の話は面白かったが、特に印象に残っているのは、私たちの元同級生がなくなったという話を聞いた時だった。

 「僕なんかよりもよっぽど生きている価値のある人だったのに」

 という一言が口をついて出て、自分でも驚いた。

 今でも、あれが冗談だったのか本気だったのかわからない。

 しかしそんな一言が胸を少し苦しくする程度には実感を伴うコメントだった。

 13:30からの打ち合わせを東海道新幹線の中で済ませてよかった。

 そう思いながら、柳宗理清酒グラスに注がれた羽根屋の純米大吟醸に口をつける。

 驚くほどフルーティで、かなり好きな味だった。

 その次に頼んだのは、勝駒の大吟醸

 りんごやなしを想像するようだが、芳醇でふくよかというよりはさわやかな味のお酒だった。

 どちらも、口当たりがさっぱりしていて飲みやすかった。

 お料理で覚えているのは、呉羽なしの豚肉巻き。

 自炊をするときは「果物×肉」の組み合わせを無意識に避けてしまうが、きちんとした料理屋さんだと出てくるのだよな。

 豚肉は醤油ベースで、少し濃いめの味付けだったが、呉羽なしの歯ざわりが良いアクセントになっていて、負けず劣らずの存在感だった。

 えびしんじょもおいしかったし、たちの刺身もよくて、かなり楽しめた。

 二人で占めて8千円ほど。

 値段にしたら、普通の居酒屋とそれほど変わらないくらいだった。

 

 別れ際、里帰りの話になった。

 日程調整は任せているが、今年の年末は九州に行くことになりそうだ。

tabelog.com

 

ドライバグリップ

ドライバグリップ


 コメリで購入したドライバのグリップを紛失したので、新規に設計しました。

 製品化されている品物の設計は、まず利用者の視点から安全性や実用性、耐久性等を考慮して検討が進められます。

 同時に、製作者の観点から、加工性や費用対効果などが検討され、その最適解が製品として販売されます。

 したがって、世間に出回っている製品のすべては「意味のある形状をしている」といえるでしょう。

 しかしながら私は、実用性を損なわなければ、その形状が最適でなくてもよいと考えています(先生方には怒られそうですが)。

 そんな観点で、今回は植物のつぼみを模したドライバグリップをFusion360で設計してみましたので、ここに紹介したいと思います。

 愛称は「ピーマン」です。

 デザインのポイントは、ドライバの保持部分が6角であるのに対し、手で把持する部分は7つのセグメントにより構築されている点です。

 7つにしたことで、上面(ドライバの先端側)から見た際の「植物っぽさ」をよく表現できたと思います。

 また、それぞれのセグメントをリング状にしながらも、相互に交点を設けることで、剛性を確保しながらも透け感のあるデザインとなっており、無意味でありながら納得のいく設計にすることができました。

 そのうち、ジェネレーティブデザインにも挑戦してみたいと考えています。

www.youtube.com

 

黒猫の三角

西田幾多郎記念館

 久しぶりに小説を読みました。

 作品名は「黒猫の三角」 森博嗣先生の「Vシリーズ」一作目となる作品です。

 「すべてはFになる」のS&Mシリーズとは主人公が異なりますが、それは本筋とはまた別のお話。

 一年に一度、特定の時期に行われる犯行には規則性がある。しかし、被害者の関連性が非常に薄く、手がかりを手繰るようにして、「探偵」は真相に近づいていく。

 そんな風にしかあらすじが書けないのは非常に心苦しいのですが、「どんなふうにあらすじを表現しても、それが作品の本質につながる糸口となりうる。」そんなニトログリセリンのような作品でした。

 Vシリーズの続編も同様かは不明ですが、S&Mシリーズと同じような作品を期待していると、いまいち物足りないかもしれません。

 東野圭吾先生の作品が好きな方なら、きっと違和感なく入り込めるでしょう。

 しかしながら、世界感はばっちり森先生のそれで、ある意味期待どおりでした。

 事象をモデル化した経験のある人間なら経験がおありかと存じますが、現実世界や、人間の認知は、非常にノイズが多くて複雑です。

 そういった作りの粗さが故意に再現されているあたり、してやられた気分でした。大変勉強になります。

 さて、そんな「黒猫の三角」の中で、特に強く印象に残っているフレーズがあります。

 「最先端の自由な発想とは(中略)それを凡人が、あとから丁寧に理由をつけて、そこまで行ける道を作るわけ。」

 私は中学生の頃から、自分が凡人であることに気が付いていました。

 どこをとっても、特別なところなどどこにもない。

 しいて言うならば、人一倍素直であることくらいでしょうか。

 自分が凡人であると気が付いたとき、私には一つのポリシーができました。

 きっと、私には何かを作り出すことはできない。

 しかし、そんな最先端の自由な発想を邪魔しないことはできる。

 そして、平凡な視点を持つということは、大衆と才能をつなぐための媒介としてならばその価値を示すことができるかもしれない。

 そうすればきっと私だって、誰かのためになることができるかもしれない。

 この作品はそんな記憶を呼び覚ましてくれました。

 いつか私の文章が、誰もが最先端へ至る道筋の一部となりますように。

 そう強く祈りながら、この記事を終わりにしたいと思います。 

今週のお題「最近おもしろかった本」